池上彰、“Fukushima 50”の努力に報いるためにこれからのことを考えなくてはいけない

2020/2/20 23:46

映画『Fukushima 50』公開記念、池上彰トークイベント

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東日本大震災発生が発端となった福島第一原発事故。関係者90人以上への取材をもとに綴られたジャーナリスト、門田隆将のノンフィクション作品「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」を原作とした映画『Fukushima 50』(フクシマフィフティ)が、3月6日(金)に全国公開。

本作の公開を記念し2月19日(水)、都内でジャーナリスト・池上彰を迎えたトークイベントが開催された。

池上は、「海外のメディアは“Fukushima 50”と呼びましたが、実際に現場にいたのは69人でした。さらにはその方たちだけでなく、数百人の人がずっと周辺にいた。当時は大変だったろうなと思いますが、実際に起きたことを一つ一つ観ることで、あの時に断片的に見ていたことを改めて確認できました」と映画の感想を語った。

池上は以前、福島第一原発、第二原発に行ったときのことを 「(放射線量を計測する)計器をつけていたのですが、ぴっぴっと放射線を浴びるたびに音が出て、ああ放射線たくさん浴びちゃったなと思いました」と福島を訪れたときのことを振り返った。

「劇中では白いつなぎの防護服を見につけていますが、実はつなぎでは放射線を遮断できないのだという。本当の防護服は鉛入りの物で、つなぎは、空気中に飛んでいる放射性物質を肌につけないというものでしかない、そしてマスクも、肺に放射性物質が入り込んで体内被曝を起こさないようにものでしかないのだ」と解説した。

そして、劇中でも50歳以上の作業員から現場に向かうという描写があったように、池上が実際に原発に行ったときも「現場のあの緊張感程ではないが、もう子育ての終わった年配の男たちだけで行こうとなりました」と当時を振り返る。

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当時は、メルトダウンを起こせば、半径250キロ圏内に人が住めなくなるのではないかという非常事態。「あの方たちが頑張ってくれたおかげで、私たちはいまも東京で日常生活を送ることができるのだ」と語った。

池上は、「放射性物質は発生するときに熱をもち、その熱を冷やすためにどうしても水が必要だが、冷却のための水は低温で沸騰しないように循環されており、その循環にも電力が必要になる。その電力は(福島第一で作った電気ではなく)東北電力の電気を使用しており、東日本大震災ではその送電線がやられてしまったということ。(※福島第一原発で作られた電気は全て関東圏へ送られている)また、非常用の電源・自家発電装置があったが、この自家発電装置が地下に設置されていたことで、結果として水が地下に入り非常用電源が止まってしまったということ。また、その非常用電源は福島第一原発の所在地が標高が10mに位置しており、『まさか津波が高さ10mも来るわけない』という考えのもとで設計されたものだったこと。そして、電力がなくても、なんとしても冷やさなければいけない。海水注入をやれとなると、本店と官邸が出てくる。本当にやっていいのか、という歯がゆい話がおきたのだ」と、当時の出来事を解説した。

劇中で渡辺謙がいた免震重要棟の緊急時対策室について、池上は、「原発が建設された当時はその設備もなかったと語った。(免震重要棟は、大地震が来ても倒れないような建物であり、そして、非常事態が起きた場合、放射性物質がでるため、それに対応するための、一人一人をチェックしてなかに入れるというフィルターの仕組みが備わっている。東日本大震災の時には何とか間に合って存在していた。これがなかったらもっと大変なことになっていたのだ)と解説。

最後に池上は「原発の危機はまだ終わっていないんです。これから私たちはどうするのかと問われていくる。豊富な地下水が阿武隈山系から流れ、それが原発の下を通ることによって汚染水が毎日生まれる。そして、汚染水をためたタンクが日々増え続け、敷地がタンクだらけになっている」という問題を語った。

そして、「今もコロナウイルスの対応と向き合う人がいるように、そして、映画で描かれた“Fukushima 50”のように、本当に責任感をもって現場で戦っていらっしゃる方が大勢いる。今回の映画を観て、本当にあの人たちのおかげで、とりあえずの危機を免れたこと。あの人たちの努力に報いるためにも、これからのことを考えていかなければならない」と思いを語った。

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