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2025年7月7日 12:19

菊池日菜子、小野花梨、川床明日香「爆心地周辺の惨禍だけでなく被害は今も続いている!」映画『長崎―閃光の影で―』ワールドプレミア in 長崎

映画『長崎―閃光の影で―』の世界最速上映となるワールドプレミアイベントが、映画の舞台である長崎にて開催され、菊池日菜子、小野花梨、川床明日香、松本准平監督が登壇。原爆投下直後の長崎を舞台に、命の現場で奮闘した若き看護学生たちを描いた本作に込めた思いや、撮影裏話などを語った。

イベントの冒頭、亡き祖父から譲り受けたというジャケットを着用して登壇した松本監督は、「僕は長崎の時津町の出身で、亡くなった祖父が被爆者でした。映画を始めた時に、いつか長崎原爆のことを描きたい、それを通して祖父のことを描きたいというふうに思って、今日この場に立つことができています。今日は祖父と一緒に、この場を見届けられればと思って着てきました」と感慨深げに挨拶した。

日本赤十字社の看護学校に通い、空襲による休校のため長崎へ帰郷していたスミ(菊池)、アツ子(小野)、ミサヲ(川床)。菊池は「撮影期間中は、体も心も一度も休まることがなかった」と当時を振り返り、「1945年にたどり着けない不安、田中スミに近づけない感覚にさいなまれた」と語った。そのうえで、「自分ができる最大限の努力は、当時を想像し続けること。思考を止めないことだった」と真摯な姿勢をのぞかせた。

小野は「役を通して何かの“光”になれるなら」という思いを抱いていたと語り、「全員が心を一つにして、日々撮影に向き合っていた」とチームの結束の強さを感じさせるエピソードを披露。

川床も「80年前という時間の隔たりを埋めるには、自分一人の想像力だけでは足りなかった」と葛藤を吐露しつつ、「仲間と信頼し合いながら、丁寧に一つ一つのシーンに向き合った」と誠実に取り組んだ様子を明かした。

イベント前日には、出演者らが実際の被爆者と面会する機会もあったという。その中で、キャスト陣が受け取った“記憶のバトン”についても、それぞれが思いを語った。菊池は「これまでは爆心地周辺の惨禍ばかりに目を向けていたけれど、被害は“あの瞬間”だけではなく、今も続いていると気づかされた」と深く感銘を受けた様子で語り、「平和を願い、考え続ける責任が自分にもあると感じた」と決意を新たにした。小野は、90 歳の被爆者から聞いた「つらかろうが事実を伝え続けなければならない」という言葉にハッとさせられたと言い、「受け取ったものをしっかりと届けていかなければならない」という覚悟を語った。川床も「“平和の種を植え続ける”ことを、自分たちが受け継いでいかないといけない」と、胸の内を語った。

本作の制作背景についても、松本監督自らが言及。1988年に黒木和雄監督が手がけた『TOMORROW 明日』の“原爆投下前夜”を描いた作品に触れつつ、「今回は“その後”を描くことを託された」と語った。実在の看護学生の手記をもとに構成されたストーリーは、「すべてを破壊する原爆の下で、人間の命を救おうとした人々を描くことは重要なことだと思った」という強い思いから生まれたという。

また、この日、会場ロビーには、島原出身の彫刻家・小鉢公史氏が本作に共鳴して制作した、一本のクスノキから作り出された看護婦の木造が展示された。松本監督は「こうして人の思いが共鳴し、つながっていくのが映画の力」と語りかけ、観客の心を温かく揺さぶった。

そして、印象的だったのはイベント前に訪れた“被爆クスノキ”に関するエピソード。菊池は「木漏れ日の美しさに、生きていることのありがたさを痛感した」と話し、小野は「土地と人に共通するような温かさと力強さを感じた」と語った。川床も「これまでも、そしてこれからも、長崎を守ってくれる存在だと思えた」と言い、松本監督は「クスノキも一人の“被爆者”だと思う」と述べ、長崎の地に根差す“命”へのリスペクトをにじませた。

映画『長崎―閃光の影で―』 7月25日(金) 長崎先行公開 / 8月1日(金) 全国公開
配給:アークエンタテインメント  ©2025「長崎―閃光の影で―」製作委員会

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