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映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』ウェイ プロデューサーとマー監督にインタビュー!

2015/1/23 02:26

2015.01 取材:記事・写真/RanRan Entertainment

 

1931年、日本統治下の台湾から甲子園に出場して決勝まで勝ち進んだ、日本人、台湾人(漢人)※1、台湾原住民※2による「嘉義農林学校」野球部(かぎのうりんを短縮してKANO)の実話に基づく台湾映画『KANO~1931海の向こうの甲子園~』。

※1中国大陸から移住した漢民族の子孫

※2台湾の先住民族の正式名称

チームの監督・近藤兵太郎役に永瀬正敏を迎え、エースピッチャー呉明捷(ご・めいしょう)を大学野球で活躍する曹佑寧(ツァオ・ヨウニン)が演じた本作は、2014年2月の台湾公開以来、興行収入3億元(約10億円)を突破。3月の第9回大阪アジアン映画祭で観客賞、7月の第16回台北映画祭では観客賞と助演男優賞、11月に行われた台湾最大の映画祭、第51回金馬奨でも観客賞と国際映画批評家連盟賞を受賞した。

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2015年1月24日からの日本全国ロードショーを前に、脚本・プロデューサーの魏徳聖(ウェイ・ダーション。監督作品『海角七号 君想う、国境の南』『セデック・バレ』)、『KANO』が劇場用映画デビューとなる監督の馬志翔(マー・ジーシアン。『セデック・バレ』ではセデック族の若き頭目タイモ・ワリス役で出演)に話を聞いた。

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―まず注目したのは、理論的で緻密に組み立てられて描かれた野球の面白さ  です。これが観客の固定観念におもねるような、単純な描写に終わっていたら、野球は近藤や球児たちが注いだ情熱に値する素晴らしいものだった、という説得力が失われていたでしょう。映画の製作を通して、野球はどのように見えてきましたか。何か変化はありましたか。

馬: (少し驚いた様子で)えええ……(親指を上げて)いい!いい質問ですね。ありがとうございます。そうです、撮影した後でモニターを見ると、なぜこういうふうに撮ったのかなと思うシーンがいっぱいありました。でももう一度それを見ていて、野球に対する新しい発想みたいなものが沸き上がってきました。

やはり野球のシーンというのは、ものすごく撮りにくいんですね。一番大事なのはリズム感です。そして何がリズムを表現する時に大事かというと、瞬間瞬間をビシッと撮ることなんです。例えばキャッチする瞬間、投げる瞬間、走る瞬間をうまく捉えて編集することが重要なので、ポスト・プロダクションの段階でたくさんのことを学びました。

野球は他のスポーツと違って、守っている時でも、攻める側と同じリズムでやらなければいけません。その独特な部分を出せるか。さっき「理論的に組み立てられて」と仰っていたとおり、攻めと守りのところ、瞬間を捉えるところ、それらを組み立てていきました。例えばこうやってあなたに質問していただいて、パッと今度は投げ返す。このリズムですね。

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―野球選手役の台詞はほとんど日本語です。どうやってコーチしたのですか。

馬: 私自身、日本語は少しわかるんです。球児役の少年たちも頭がいいんです。体育会系だからといって軽く見てはいけません(笑)、すぐに台詞を覚えてしまいました。撮影の現場で私がリクエストしたのは、口の形がしっかりと合っていること。あるいはその時の感情が表現されていれば、よしとしました。日本語の先生に指導もしてもらいましたし、私はずっとそばについて確認しながらやっていました。(日本語で)「野球選手は頭いい。私は野球選手です(爆笑)」※選手役は「野球ができる人」を条件に選ばれた。監督も少年野球の経験者

―実際の嘉義農林ナインは、特に台湾原住民の選手の年齢が高いですね。26歳を筆頭に25歳、24歳も2人います。

馬: 当時の野球部は、何年生に所属しているかということでチームを構成していたので、年齢とは関係ないんです。

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―甲子園の出場資格には抵触しなかったのですか。

: 今はたぶん年齢制も入ってきていると思いますが、当時は学級制ですね。その時代は教育がそれほど普及していませんでしたから、子どもたちは、ある年齢になったら学校に入るわけではなくて、逆に大人になってから学校に入るケースもありました。嘉義農林は農業高校です。台湾全土に農業の知識を普及する必要があるので、それを学んで欲しいとか、学ぶのに適している学生を、半分は推薦で、半分は試験を受けて入学してもらうというやり方をしていたと思います。

台湾全土に関していえば、西側は開発がかなり早く進んでいて、東部の特に原住民の皆さんが多く住んでいる地域は、わりと遅れていました。そういった地域からいろいろな学生を集めたので、いわゆる高年齢の学生はけっこういたと思います。チームの構成を今の我々の目で見ると、年齢は高いしテクニックも持っているだろうし、うまいのは当たり前だと思いがちです。しかしこのチームの皆さんは、集まってから野球の経験が2年しかないんです。他のチームの子どもたちは、ずっと野球をやってきた。その点に関しては比べるとまったく違いますね。私は彼らの援護をするつもりですよ(笑)

―野球部監督の近藤兵太郎を演じた永瀬正敏について、聞かせてください。

: 私はこの世界に入って20年になります。今でも覚えているのは、その頃クララ・ロウ監督の『オータム・ムーン』(91)で永瀬さんを初めて観たことです。非常に落ち着いていて静かな演技なんですが、ある種のテンションが張っていてびっくりしました。のちに彼の映画に出会ったのは、山田洋次監督の『隠し剣 鬼の爪』(04)です。これもまた素晴らしかった。

じつは『KANO』の製作に当たっては永瀬さんのことを忘れていて、飛行機に乗って映画を観ようと日本映画を選んだら、なんと彼が出てきた。あれ、この人をなんで忘れてしまったんだということで、事務所に帰ってから、さっそくスタッフに永瀬さんとコンタクトを取ろうと話して、キャスティングを始めました。

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: 永瀬さんには不思議な存在感があります。ウェイプロデューサーと、この役にはこの人しかいないと相談をして、熱い気持ちを永瀬さんに伝えました。『KANO』への出演で、彼はデビュー30周年になります。私の経験は14年、半分にも満たない。大先輩と若手の監督という関係になるので、絶えず後輩の立場で演出しなければなりませんでした。

永瀬さんは俳優という職業にとても厳しく、プロ意識の高い方です。自分が納得いくまで役を突き詰めていくタイプの方なので、何度も何度も話し合いをしました。ほんとうにものすごく長い時間がかかりました。でもそれだけ徹底的に役を理解して、納得して現場に入るので、ワンテイクでO.K.になるんですね。

映画が成功した半分は永瀬さんのおかげだと思っています。仕事の面では大変厳しい方でしたが、プライベートでは私の兄貴という感じです。撮影の休み時間、永瀬さんは一人で静かに台本を読んでいましたが、すべて終わってポスト・プロダクションの時はすっかりリラックスして、(彼は写真家でもあるので)私たちのことを撮っていました。その写真を集めて、高雄と台北で写真展を開催したんですよ。

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―台湾総督府技師で「嘉南大圳」(烏山頭ダムと嘉義、台南の平野部の水利灌漑施設)の大土木工事を監督指導した八田與一(大沢たかお)も登場します。ダムの完成は実際には1930年ですが、劇中では嘉義農林の全島大会優勝の時期に重ねています。物語に八田を絡めた理由は?

: ダムの完成と優勝には半年の差がありました。そこでプロデューサーとして考えたんですが、こういった出来事を一緒に映画の中で描くと、いいことばかりなんです。この年(優勝した1931年)の夏、台湾は豊作を迎えました。そこで嘉義市のランドマークの噴水もブワーッとやる。つまりいいことばかりがここで集まってきて、映画のドラマティックな演出に関していえば、一つのピークを迎えます。

八田は李登輝の話の中で出てきて、いわばそれが宣伝となって台湾でも知られるようになりました。今、我々現代人にとって一つの障害となっていることがあると思います。お互いに不愉快な、嫌な過去があったとしても、その時代を生きていた人々が全員悪い人だとは限らないのに、なぜ忘れようとするのですか。日本も軍国主義の時代があったにも関わらず、その時代を生きていた人たちの中には、素晴らしい貢献をした人もいました。

例えばこの映画では、呉明捷を描いています。東京にいる息子さんに私が会いに行き、彼がたくさん持ってきた資料を見てあれこれ話をしていた時、彼はついに我慢ができず、私にこう聞いてきたんです。「なんで父の映画を撮ろうと思うのですか。もう誰も覚えていないのに」。歴史上の無名のヒーローを忘れてはいけない、と答えると彼は泣きました。「いやあ、でもやっぱり忘れられている」と。日本でも台湾でも、あるいは世界中どこの国でも民族でも、無名の英雄っていっぱいいるんですね。

嫌な時代があったにしても、こういった人たちを我々は忘れてはいけないと思います。『KANO』に2人、(日本人の)重要な役がいると考えてください。1人はまさに10年前の李登輝の話がきっかけで、皆さんに再び認識されている八田さん。もう1人は近藤監督ですね。この2人は往時の台湾で、いろいろないいことをやりました。だからぜひ、忘れないで。

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―烏山頭ダムから流れ出る水が、ラストの近藤の台詞の伏線になる。この時スクリーンには現れないが、観客の脳裏には鮮やかで感動的な、ある秋の光景が浮かぶのだ。巧みな展開の本作には、こんなシーンも。決勝戦、エース不調のため敵に打たせて捕る作戦に転じたナインは、飛んでくる球に「いらっしゃーい」と叫びながら食らいつく。緊迫した甲子園に、桂文枝が次々現れたかのようなコミカルな響き。言葉の文脈と時代が異なるために偶然生まれた、いくつかの愉快な場面もKANOの隠れた魅力だ。3時間5分の長編を味わいつくそう。

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『KANO~1931海の向こうの甲子園~』

2015年1月24日(土)新宿バルト9 他全国ロードショー!

URL http://kano1931.com

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