鳥飼茜の衝撃作・漫画「先生の白い嘘」(講談社「月刊モーニング・ツー」所載)が奈緒の主演により実写映画化、7月5日(金)より全国の劇場と3面ライブスクリーンにて公開。嘘と本音が入り混じる違和感に満ちた本編冒頭映像が解禁となった。
本作は、ひとりの女性が抱える「自らの性に対する矛盾した感情」や、男女間に存在する「性の格差」に向き合う姿を描くことで、人の根底にある醜さと美しさを映し出したヒューマンドラマだ。
男女の性差に翻弄され葛藤する本作の主人公・原美鈴を奈緒が演じる。共演陣には猪狩蒼弥、三吉彩花、風間俊介らが名を連ね、歪み切った登場人物たちによる狂気的愛憎の四角関係と観る人の心の奥底をエグるストーリーが描かれていく。
本編冒頭映像:https://youtu.be/gTl-1SxqdWc?si=IzmFZIcFACL7aDQt
この度解禁された冒頭映像は、主人公の美鈴の「人間を2つに分けたとして、必ずどちらかが少しだけ取り分が多い、とわたしは感じている」と心の内に秘める人の不平等さについてのモノローグから始まる。その後、場面は一転し、居酒屋で待つ美鈴が映し出され、そこに美鈴の親友の美奈子(三吉彩花)と美奈子の恋人の早藤(風間俊介)がやってくる・・・。さらにシーンは、美鈴の職場である高校へと移り変わる。美鈴はいつもどおり学校に行き、生徒たちを教卓から見下ろして密かに自尊心を満たす。そして、無機質な表情と声で「それでは授業、始めます」と言う美鈴の姿が映し出される。
また、原作者の鳥飼茜が実写映画化を記念し、コメントを寄せた。今回到着したコメントには、鳥飼がこのテーマを描くきっかけ、映画化についてなど自身の今の強い想いを綴った。
【鳥飼茜 コメント全文】
特定のニュースを名指しする必要もないだろう。性が犠牲になる出来事は今日も私たちの目の前にアップロードされている。
私は性被害を無くしたくてこの漫画を描いた。被害にあったひとが恐怖心から、恥辱から、自己嫌悪から、声を上げられずにいる様に憤って、胸を痛め、この漫画を描いた。性を弄ばれると人は底なしの無力に突き落とされる。人格なんて関係なしに、ただの容器かのように一方的な視線を浴び一方的に欲情され、恐怖の下ほしいままにされた後、愛だったとか合意だったとか「からかい」だったとか言われたら、そういうことにしておきたい気持ちがよくわかる。だって人権を剥奪されて蹂躙された物体にされたなんて認めたくはないから。
そんな人として当たり前の欲求と、想像を絶する葛藤を超えた結果に被害の告発をした人の力強さには頭が下がる思いしかない。彼等の告発がたとえ事後何年後であれ、その葛藤を私は讃える。きっとそこには声を上げない選択をした人がいるだろう。それでも、誰かがこういう目に遭いました、と堂々と発する姿は、無言の被害者を否定することではなく、むしろ静かにその存在を肯定するはずだと、私は思う。
そう思っている人間がここにいますと、声を上げたくて描いたのが『先生の白い嘘』という漫画だ。だからどんな演出をされようが映画『先生の白い嘘』もそういう立場でないといけないと、少なくとも原作の私は思っている。
漫画が映像化するということは基本的には光栄なことだ。 それでも、メディア化というある種自分の手を離れる場面にあたって、自分は自分の描いたこの作品に最後まで粘り強く責任を取り続けたか、と問われると自信がない。
自分はこの漫画を描くとき確かに憤っていたのだ。ひとりの人間として、ひとりの友人として、隣人として、何かできることはないかと強い感情を持って描いたのだ。それはある意味特別で、貴重な動機づけだった。漫画に対していまあんな情動は持てない。
性被害に対し、何を言い、どんな立場なのか。そのシンプルで一方向的な態度と、より大勢のひとを巻き込む映像化というプロセスは、両立させることが非常に困難なものだと思う。 この映画に携わった全ての人の価値観を私がリードすることは出来ない。映像化にあたり、見せたい箇所が各々違うところにある場合もあると思う。それが漫画と違う大きなポイントだ。
この映画を見た人が性被害について何を思うのか、思わないのかも、私にはタッチできない。 映画『先生の白い嘘』は私ひとりの手を遠く離れた映像作品だけれども、まず初めに上のような、人間の強い憤りが芽吹かせた物語であることは紛れもない事実だ。
そして一鑑賞者の私には、全てのシーンがともかく誠心誠意作られたものと感じられたことが大変ありがたかった。
鳥飼茜
映画『先生の白い嘘』 7月5日(金)全国ロードショー
配給:松竹ODS事業室 / イノベーション推進部
映倫区分:R15
©2024「先生の白い嘘」製作委員会 ©鳥飼茜/講談社