2020年の“幻の上演”から3年。メインキャストもほぼそのままに、ミュージカル『アナスタシア』が帰ってくる! 期待に胸を膨らませながら広い稽古場に足を踏み入れると、そこには30名ほどの出演者と、同じくらいの人数のスタッフが。ここ数年の状況下ではめっきり珍しくなった大所帯の稽古場に、ブロードウェイ発の大作ミュージカルならではのスケール感が漂う。
8月中旬に訪れたこの日は、歌の抜き稽古からスタート。
第一幕から、記憶喪失のアーニャ(葵わかな/木下晴香とWキャスト)が、ディミトリ(内海啓貴/海宝直人・相葉裕樹とトリプルキャスト)からもらったオルゴールの音色を聴いて歌う「Once Upon A December(遠い12月)」。幻想のように舞踏会の男女が現れて踊る中、必死に記憶を辿ろうとする葵アーニャを、内海ディミトリがじっと見つめる。複雑な心情をにじませるナイーブな表情が印象的だ。
続いて、両親を亡くし、ペテルブルクの街が俺を育てたというディミトリ(海宝)が、アーニャ(葵)に語って聞かせる「My Petersburg(俺のペテルブルク)」。つらい過去にも負けず力強く歌い上げる海宝ディミトリに、初めは軽く流しながらも次第に聞き入っていく葵アーニャ。寒い公園で過ごす夜、それでも未来を信じて顔を輝かせる2人に目を奪われた。
次は、懸賞金を目当てに、ディミトリ(相葉)が小悪党のヴラド(大澄賢也/石川禅とWキャスト)と共に、アーニャ(木下)を“皇女アナスタシア”に仕立て上げようとするシーン。ブロードウェイらしい明るく前向きな「Learn To Do It(やればできるさ)」に乗って、本を読み、ダンスを習うアーニャ。初めは2人を詐欺師と呼んでうさんくさげに見ていた木下アーニャだが、どこか誠実さを感じさせる相葉ディミトリや、地頭の良さを垣間見せる大澄ヴラドと過ごすうち、だんだん笑顔を見せるようになってゆく。
歌の抜き稽古の最後は、政府事務所に呼ばれたアーニャ(木下)に、ボリシェビキの将官グレブ(堂珍嘉邦/田代万里生・海宝直人とトリプルキャスト)が歌う「The Neva Flows(ネヴァ川の流れ)」。夢に惑わされるなとアーニャに助言しつつ、任務と過去の記憶の狭間で揺れ動くグレブ。沈鬱な曲調の中、感情を押し殺すようにして歌う堂珍グレブと、強い意思を瞳に宿す木下アーニャの対峙は、波乱の物語を予感させる。歌の抜き稽古だけなのに、その世界観にすっかり引き込まれてしまった。
*****
第二幕の稽古が始まる前に、ヴラド役の大澄と石川、アナスタシアの祖母・マリア皇太后に仕えるリリー役の朝海ひかるとマルシア、堀内敬子(トリプルキャスト)のシーンを、本国ブロードウェイから来日した演出補、サラ・ハートマン氏が細かくアドバイス。“ワケあり”な2人だけに、ソーシャルダンスが盛り込まれたくだりはコミカルな描写もあり、石川の奮闘にマルシアが思わず噴き出してしまうひと幕も。ダンス経験が豊富な大澄と朝海が、石川とマルシアに身体の角度を助言し、それを堀内がチェックするなど抜群のチームワーク。実力派のベテランが揃った和やかな雰囲気に、カンパニーの盤石ぶりが伝わってきた。
その後はいよいよ、第二幕の通し稽古がスタート!
冒頭は、冬のペテルブルクからやってきたアーニャ(葵)とディミトリ(相葉)、ヴラド(石川)が、明るいパリの春に心浮き立つ場面だ。作家、画家、詩人……たくさんの芸術家が集い、自由に生きている花の都パリ。石川ヴラドはおっとりとした温かい人柄がにじむ役づくりで、新しい未来に挑もうとする葵アーニャを優しく見守っていた。
場面は一転して、皇太后マリア(麻実れい)のパリの邸宅。皇太后の財産を狙おうとやってくる貴族を追い払い、ひと息つくリリー(マルシア)とマリアの会話から、寂しげな生活ぶりが伝わってくる。偽のアナスタシアが何人もやってくることに心を乱され、疲れ切っているマリアだが、麻実はそれでも品格を損なわず、現実に対峙する皇太后として表現。ひそかに嘆きながら古い写真を抱きしめる姿に、稽古場の演者たちも思わず見入っていた。
終幕まで続けられた第二幕の通し稽古は、他にも見逃せない場面が続く。
アーニャたちを追う将官グレブの苦悩や、詐欺のくわだてのつもりが、いつのまにかアーニャの幸せを祈るようになったディミトリの想い――。
二幕の中盤、バレエが上演されている劇場で、マリア皇太后とアーニャが初めて目を交わすシーンは圧巻だ。バレエの進行と共に、麻実マリアと葵アーニャは葛藤の中でお互いの存在を認め、見つめながら、膨らんでゆく想いを歌い継いでゆく……。その後の展開は、ぜひ実際に舞台を観て、確かめてほしい。
歴史の波に翻弄されたとしても、いつの世も変わらず人は人を想い、勇気をもって行動し、人生を選び取ってゆくのだと、ミュージカル『アナスタシア』は教えてくれるようだ。社会情勢が変化を見せる今、皇太后マリアが口にしたセリフの1つひとつは、3年前よりさらに重い。アーニャと皇太后マリアが、そしてディミトリやグレブが選んだ道を思うとき、本作の持つ力の大きさと最高のキャストで演じられる幸運を、さらに実感する稽古場取材となった。
取材・文/藤野さくら
ミュージカル『アナスタシア』
東京公演: 2023年9月12日(火)~10月7日(土) 東急シアターオーブ
大阪公演: 2023年10月19日(木)~31日(火) 梅田芸術劇場メインホール