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2011年12月24日 06:38

「マイウェイ ‐12,000キロの真実‐ BASED ON A TRUE STORY」プレス試写会にて (2011年12月19日 新宿バルト9にて)

監督作品数としては今作で4作目だけだが、いまや韓国映画界を牽引する監督であるカン・ジェギュ監督は1996年に銀杏でできたベッドにまつわる因縁によって、千年もの時空を越えてその因縁に惑わされるある男女の運命を描いた「銀杏のベッド」(ハン・ソッキュ、ジン・ヒギョン、シン・ヒョンジュン主演)で監督デビューし、その後。1999年大ヒットした南北問題を取上げた「シュリ」(チェ・ミンシク、ハン・ソッキュ主演)で韓国映画をグローバル的な映画とした。そして、2004年公開の「ブラザーフッド」では朝鮮戦争に翻弄される兄弟を描き、1100万人を動員し、韓国映画興行成績(韓国)で3位の座を現在も守っている。そのカン・ジェギュ監督の最新作「マイウェイ ‐12,000キロの真実‐ BASED ON A TRUE STORY」が2012年1月14日、日本公開される。カン・ジェギュ監督はチャン・ドンゴン、オダギリジョー、ファン・ビンビンという韓国、日本、中国を代表するトップ俳優を主役に迎えて、前作の「ブラザーフッド」以来7年ぶりにこの作品でメガホンをとった。

今回の主役の一人であるチャン・ドンゴンとは「ブラザーフッド」でもタッグを組んでいる旧知の仲だ。時期や舞台は異なるものの、同じ戦争をテーマにした「ブラザーフッド」と今回の「マイウェイ」。そして、主演俳優も同じチャン・ドンゴン。実は映画を観るまで「続けて同じような作品?何か違うのだろうか?兄弟愛の悲劇が男同士の友情物語に変わっただけじゃないの?」という気持ちが私のなかにあった。しかし、実際、映画を観て、その想いは跡形もなく吹き飛んだ。

1928年、日本統治下の京城の街中をある日本人の親子3人を乗せた1台の車が走っている。その車は京城に住む憲兵隊指令官の家に向っていた。乗っているのは医師の父、優しい母、そして、父や祖父を敬愛している息子、長谷川辰雄(オダギリジョー)。辰雄がふと車外に目を向けると、車と同じスピードで併走し、追い抜いていく自分とそれほど歳の変わらない男の子がいた。その男の子は辰雄の祖父の家の使用人の息子、キム・ジュンシク(チャン・ドンゴン)。走ることに自信のある辰雄はそのジュンシクの走る姿をみて、闘争心がかき立てられた。大好きな祖父との再会もそこそこにジュンシクと競争をする辰雄。2人の初めてのこの競い合いはジュンシクの靴が脱げ、辰雄の勝利に終わった。初めての出会いで競い合ってから、成長しても、マラソンでは常にライバル関係にいた辰雄とジュンシクだった。辰雄が勝てば、次の試合はジュンシクが優勝するといったように。

辰雄の祖父が爆弾テロによって目の前で爆死した事件で、使用人だったジュンシクの父は配達されたものを届けただけなのに、憲兵隊に拷問を受け、不自由な体となり、ジュンシク一家は仕事も住む家も失った。そして、大切な祖父を失った辰雄はことのほかジュンシクを恨んだ。そして、2人は憎しみあう関係となってしまった。車夫として父の代わりに一家の生計を支えるジュンシク。他人にはそのジュンシクの生活ではマラソン選手の道は閉ざされていたかのように見えた。でも、ジュンシクは夢を決してあきらめていなかった。足に砂袋を巻いて、街中、人力車を引いて疾走していたのだった。一方、辰雄は父の進める医学の道よりもマラソンの道を選び、オリンピック日本代表候補選手になっていた。

日本統治下であるが故、代表選手には日本人をという陸上連盟の動きのなか、ベルリンオリンピックで金メダルに輝いたソン・ギジョンの計らいで東京オリンピックのマラソン代表選手選考会で数年ぶりに直接対決をすることになった辰雄とジュンシク。日本人選手の妨害にも負けず、辰雄とのデットヒートの上、優勝したジュンシク。しかし、日本人ではないジュンシクの優勝を認めない陸上連盟。優勝は辰雄。一方、ジュンシクは進路妨害で失格となってしまった。ジュンシクはもちろんのこと、勝負を見守っていた朝鮮人たちも納得がいかない。ついには暴動に発展してしまった。優勝者として名を読み上げられた辰雄自身も明らかに負けたのは自分であり、表彰台には乗ることができない。それと同時に選手として練習を積んできた自分が車夫として働いてきたジュンシクに負けたことで自信を崩されてしまった。そして、ジュンシクたちはその選考会での暴動事件の罰として日本軍に強制徴用され、家族を残し、最前線の戦場に送り込まれてしまった。

ノモンハンの戦場で人種差別や過酷な日々を送るジュンシクたちの前に、夢破れて冷酷な軍人となってしまった辰雄が現れる。上官と部下として辰雄とジュンシクの再会。しかし、2人の間にはお互い憎しみの感情しかなかった。どんな状況でも夢をあきらめず、オリンピック出場を夢見て練兵場を走るジュンシク。それを疎ましく思う辰雄。ついに辰雄はジュンシクたちをソ連軍への特攻隊に任命する。それはジュンシクたちの死を意味していた。

犬死はしたくないと特攻作戦が決行される前日、脱走するジュンシクたち。そこには捕虜の中国人女性シュライ(ファン・ビンビン)もいた。家族を日本兵に殺されたシュライは日本兵の皆殺しを企んでいたが、ジュンシクたちに捕らえられ、捕虜となっていたのだった。しかし、引きちぎられた家族写真を貼り合わせて返してくれた心優しいジュンシクには心を開きかけていたのだった。そして、日本人に虐げられてきたジュンシクもシュライを見捨てることはできなかった。脱走途中、ソ連軍の奇襲攻撃を目にする。友のジョンテたちを船で逃がし、軍機からの襲撃をかわしつつ、練兵場にその奇襲を知らせに1人走るジュンシク。そこにジュンシクを援護するシュライの姿が。しかし、シュライは残念ながら敵機を撃ち落しつつ、命も落としてしまった。

奇襲をかけてきたソ連軍に対して圧倒的に劣勢の日本軍。それでも指揮官である辰雄は「皇軍として、名誉ある死のみ。後退は決して許さない。」と。ついには逃げ惑う同士である日本兵に対して銃口を向ける。しかし、ジュンシクは「犬死はすべきではない。後退命令を出せ。死にたければ、お前1人死ね。」と言い放つ。激戦の後、辰雄やジュンシクたち生き残った日本軍人はソ連軍の捕虜となり、極寒の地へ軍用列車で送られていく。収容所で寒さと飢えと過酷な労働に1人、また1人と仲間が死んでいく。その中でも辰雄は「自分は大佐である」とこれまでと同じ態度をとる。しかし、徐々に自分の価値観が揺らいでいく。そのとき、ドイツ軍が侵攻してきた。辰雄やジュンシクはソ連軍の軍服を着て、ソ連軍として戦うこととなる。このとき、辰雄は日本軍、日本人としての誇りや意地などは捨てて「生きる」道を選ぶ。そして、撤退を許さないソ連軍の指揮官の狂気に対し、以前の自分の姿を重ね合わせていた。

雨のような砲弾、銃弾を逃げ延びた辰雄とジュンシクは死んだドイツ兵から軍服を剥ぎ取り、それを着て、国境を越えようと雪の降り積もる山を越えた。ジュンシクは銃弾を受けて倒れこんだ辰雄を背負いながら。ある廃村にたどり着いた2人。辰雄の薬を探そうとするジュンシクの目の前に当時、日本と同盟を結んでいたドイツ軍が現れた。「私は日本兵です。仲間を助けてください。」と助けを乞うジュンシクをドイツ軍は怪しみ捕虜として連れ去り、2人は離れ離れになってしまった。ジュンシクの「辰雄!辰雄!」という言葉を残しながら。

その後、フランスのノルマンディーのドイツ軍の東方部隊に辰雄の姿があった。助かった辰雄はずっとジュンシクを探していた。あるとき、海辺を走る1人の男の姿が辰雄の目に入った。なんと、ジュンシクだった。再会を喜ぶ2人だが、このとき、辰雄は自分をかばったことにより、ジュンシクの耳が聞こえなくなっていることを知った。しかし、ジュンシクは「銃声もわめき声も聞こえないから、この方が楽だ。」と自分を責める辰雄をやさしく気遣った。そして、「遠くまで来てしまったな。京城まで走って帰ったらどのくらいかかるかな?」と。京城から12,000キロ離れたここノルマンディーで戦時中ではあるものの2人はこれまでにない楽しい時間を過ごしていた。しかし、その時は長くは続かなかった。ノルマンディー上陸作戦が決行されたため、海上に連合軍の多数の軍艦が姿を現したのだった。またもや砲弾、銃弾にいや、これまで以上の砲弾のなか、辰雄は耳の聞こえないジュンシクを気遣い「俺から離れるなよ。」と。2人どうにか逃げ延びたように見えたが、ついにジュンシクの胸からは血が溢れ出る。自らの命の期限を知ったジュンシクは自分のIDプレートを辰雄に託す。「日本人だと分かったら、お前は殺される。今からキム・ジュンシクとして生きろ!」と。そして、辰雄の胸に…。

数年後、マラソンで他の選手を抜き去る1人の選手の背中がある。その背中には「JUNG-SHIK KIM」。果たして、この選手は…。

辰雄とジュンシクという日本人と朝鮮人の国籍が異なる2人の男の姿を通して、「信念までも失ったときでも、いかなる状況でも夢をあきらめずに生きること。」これは人間にとって最も基本的なことであり、重要なこと。しかし、ともすれば、一番難しいことで、忘れられがちなことかもしれない。このことがどれだけ大切なことか、それを教えてくれる映画だった。観る前に思い浮かべていた「悲劇的な戦争映画」という思いは、映画を観終わったときにはなかった。もちろん、激しい戦闘シーンや悲しいシーンはある。涙も流れる。私自身戦争を知らず、これまで何不自由なく生きてきたし、いまも生きている。生きるとは何か?絶望ともとれる状況のなかで何に希望を見出し、生きる支えにできるのか?考えさせられた。そして、これから自分が生きていく中でなにか支えとなる夢や何かを見つけなければならないという思いが溢れる映画だった。

アメリカ国立公文書館から見つかったドイツ軍の中に1人の東洋人が写る1枚の写真。それが元になり、様々な作品が生まれる中、カン・ジェギュ監督が4年もの歳月をかけた構想。カン・ジェギュ監督がわざわざ来日して出演を口説いたオダギリジョーの鬼気迫る演技、過酷な戦闘のなかでもやさしく人を包み、ときには体をはってでも仲間を守ろうとする荒々しくもどこか心温まるチャン・ドンゴンの演技、そして、力強い女性を演じたファン・ビンビン。主演俳優3人の演技も見所である。その場を和ませる笑顔の持ち主でありながら、あるときは狂気に満ちたジョンテを演じたキム・イングォンの演技も見逃せない。

韓国映画史上、最高額の制作費25億円が投入され、韓・日・中をはじめ各国の俳優、スタッフが渾身の力を込めて作成した「マイウェイ」。物語にのめり込み、2時間20分におよぶ上映時間はあっという間に過ぎていく。また、「プライベート・ライアン」のスタッフが手がけた戦闘シーンは臨場感があり、まさに自分がその戦闘のなかにいるかのような錯覚に襲われる。ぜひ、劇場の大きなスクリーンでご覧いただきたい。あなたはこの映画から何を感じるだろうか?「戦争って嫌だ。」「平和っていいな。」なんでも良い。それに加えてほしい、この映画のテーマでもある「全てを失ってもまだ、生きる道はある…」という「生きることの大切さ」を…。

2011年東日本大震災が起き、多くの人命が失われ、また家族団らんの根源である家族、家や仕事をなくされた方も多いいまの日本。戦争と震災、それは違うが「希望」や「夢」をあきらめることなく、「生きる道」ことを探し続ける…観た人それぞれがいろんな思いを感じられる映画だと思う。

 2012年1月14日(土)日本公開 全国ロードショー

配給:CJエンターテイメントジャパン / 東映株式会社

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